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実家の龍馬フィギア(海王堂)

 
いや~。いよいよ龍馬伝面白くなってきました。
薩長同盟を決めて、寺田屋からの難を逃れて落ち延びる。。。。。
この後は岩崎弥太郎が面白くなってくるのかもしれません。
(土佐商会設立とか、海援隊のバックボーンになるとか。。。)
早くも終盤戦のスタートですが、目が離せないっす。。。。。。。。。
 
 
本日は、個人的にいい事があったので、龍馬ネタにいたします(笑)
 
これは、7~8年位前に集めた幕末もののフィギアの中の、坂本龍馬です。
土佐の坂本龍馬像瓜二つです!!(実際見たことないんすが。。)
 
海王堂。。。。。この頃は凄かったんだけどな~。。。。。。
 
最近、作り方が荒い気がするんすよ。。
セブンイレブンのキャンペーンでやってた坂本龍馬フィギアとかも。。
(色塗りがはみ出したフィギアと、似てないのが1対づつ。。。。。。。涙)
どの企業も、規模が膨らむとなんとやらなのかもしれません。。。。(汗)
 
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龍馬伝こぼれ話①

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こんばんわ。
 
2日あけましての貧乏入門の更新と相成ります。
 
龍馬伝。面白くなってきました。
山内容堂ムカつきますね~。
後藤象二郎はったおしたくなりますね~。
っていうような展開となってまいりましたが、
今回は、あくまで自分の知っている限りの事ですが、
ドラマ龍馬伝と、実際の坂本龍馬の行動との違いをネタにしてゆきます。
 
 
あくまで龍馬伝はドラマです(笑)
面白くするためにふんだんにスパイスが効いております(笑)
 
 
話変わって、三国志の世界でも、
三国志演義と、三国志正史が存在します。
演技はフィクションで、正史はノンフィクションです。
 
 
というわけでして、
ノンフィクション版龍馬伝と参りましょうか!!
ただ、ドラマの先の展開は暴露できませんので、
今回は、第一弾です。
 
 
マニアックではありますが、
お楽しみください!!!
 
 
この記事を読めば龍馬伝が2倍楽しくなりますよー!!!(たぶん。。。。。。)
ではでは、本題に参りたいと思います。
 
 
 
① おりょうの妹奪回について。。。。。
 
龍馬伝では、おりょうと龍馬が初めて出会う旅館にて、
おりょうは妹がヤクザ者に捕らえられていて、救いに行きたいといって無茶をして、
龍馬に止められて5両をもらい、そのお金で妹が助かるという話しがあったはずです。
 
しかし、その真相は、おりょうが単独で妹を救いに行っており、
龍馬はこの件に関しては助けに入っていない模様です。
 
                 ↓龍馬の妻になる楢崎龍(おりょう、写真)です。
                  のちに寺田屋で龍馬の命を救う大活躍をします。
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② 福井藩に1000両の援助を求めに行く龍馬について。。。。
 
龍馬伝では、龍馬が勝海舟の弟子となり、秘書の仕事をしていた折に、
海軍操練所(神戸海軍塾の前身)の資金繰りに困った勝が、
龍馬に対して、福井藩の松平春嶽公を頼り1000両の資金援助を受けて来いという、
極めて難しい仕事を依頼する。
龍馬は早速福井城へ出向き、松平春嶽と横井小南に面会し、
見事海軍操練所の必要性を説いて1000両(今の価格にして2500万円ほど)の援助金を得た
 
しかしその真相は、なんと!!5000両(今の価格にして1億2500万円ほど)の援助を得ています。
 
 
 
                 ↓坂本龍馬の人生最大の師匠こと勝麟太郎(海舟)です。
               勝との出会いがなかったら、亀山社中は存在していなかったでしょう。
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③ 山内容堂と松平春嶽の年齢について
 
龍馬伝では、容堂と春嶽は初老の大名みたいな演出になっているが、
実は、大政奉還の1867年時点でのこの両者の年齢は容堂40歳、
春嶽39歳だった。
 
                 ↓松平春嶽(福井藩主、写真)です。
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④ 坂本龍馬と岩崎弥太郎の関係について
 
龍馬伝では、話しの全編が岩崎弥太郎の回想と言う形で語られており、
司馬遼太郎の、竜馬がゆくとは話の流れが異なっている。
弥太郎と龍馬は幼なじみであり、互いに助け合いながら成長していくのですが。。
 
しかし、その真相は、史実に初めて龍馬と弥太郎が接見したと確認できるものが、
海援隊結成時の資料であるため、実際に幼少期にこの二人が関わりがあったのかは不明。
 
 
 
とまぁ、こんなところでしょうか。
この記事を見たところで実際とドラマが若干違うにせよ、
楽しんでいただければ、これ幸いであります。
 
 
さときゅう
 
 
 

武市半平太と、土佐藩

 
本日も、貧乏学入門へお越しくださいまして、誠にありがとうございます。
 
話は変わりますが、龍馬伝。ちょっと複雑な展開となってまいりました。
で、今回は余計なお世話企画といたしまして、これまた独断と偏見ではありますが、
武市半平太(瑞山)について書いてみようかな~と思います。
 
ちょっと、マニアックな記事になります。
もし興味があってわからない点とかありましたら、コメントください。
いつでもお答えいたします(答え知ってたらですが。。。。。笑)
 
土佐勤王党の、武市半平太です。
(インベーダーーではございません)
 
坂本龍馬の幼なじみだった、武市半平太です。
(ダースベーダーではございません)
 
土佐を雄藩へ押し上げた、武市半平太です
(花の新婚カンピューター作戦では。。。。。。。)
 
この記事読んでくれている方々がスルーされてしまうと悲しいので、
この辺で、本題へと移ります!
 
↓武市半平太(写真)です。
 
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武市半平太は、土佐では名家出身のの郷士の家系に生まれます。
大河ドラマ、龍馬伝ではあたかも下士であるという設定となっているのですが、
実は武市は下士と上士の中間である、白札と呼ばれる微妙な地位にいました。
(なので、上士から見たら身分は低く、下士から見たら身分が高い)
 
武士の間でも上士(上級武士)と下士(下級武士)に分けられているのは、全国的にも見られるのですが、
ことに土佐はその身分差別が強烈で、上士と下士の間で住居地区が区切られいるほどでした。
 
白札と呼ばれる身分制度は、もともと土佐では下士が上士になれるチャンスすら存在しないため、
下士が上士に対して不平不満を爆発させないためのあやふやな格付けでした。
 
青年になると江戸の3大師範と呼ばれる桃井塾にて剣術を学び、塾頭(最も優秀)となり、
個人的な趣味として、書や絵画、漢詩にも精通していたといわれる趣味人だったといいます。
 
武市のエピソードは多く、妻の豊子との間に子供がなく、
当時の世論としては、武士が妾を作って子供を生ませるといった(男尊女卑的な)
社会通念が当たり前の如く常識としてあった中で、
妾を作って子供を作ったほうがいいと言う虎太郎に対して逆上。
”子のないのは天命である!二度とそのようなことはするな!”と叱責したエピソードは有名。
 
また、己を高めることへのこだわりと、土佐藩への憂い、
山内家への忠義は計り知れないものが伝わってきます。
 
        ↓土佐にある武市半平太の似顔絵(写真とはイメージが異なりますが。。。。)
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武市が土佐で武芸を仲間に教えながら、おりしも黒船来航となり、
その流れで攘夷に目覚めて土佐勤王党を結成させるのですが、
様々な文献を調べるに当たって、その大体が、武市の人望に触れています。
まがりなりにも坂本龍馬や中岡慎太郎も一時期とはいえ入っていた土佐勤王党。
 
武市半平太とはどのような人物だったのかが、気になった次第です。
 
単純に言ってしまえば簡単に終わってしまうのです。
 
尊皇攘夷の固執するがあまり、それに反する意見は受け入れられず排除して行き、
山内容堂が、将軍世継ぎ問題で属していた一橋派が破れて江戸にて謹慎している間、
政敵となった吉田東洋を暗殺して土佐の中心となり、一藩勤王を唱えるものの、
日和見的で内心佐幕(幕府を補佐する)寄りであった山内容堂とは最終的に食い違い、弾圧される。
 
外様大名であるはずの山内容堂がなぜ佐幕だったのか???
という疑問が出てくるのですが、
これがまたややこやしい話になります。
土佐山内家は、その開祖が山内一豊になります。
(スミマセン。ここからちょいと話しが脱線いたします。)
昔、大河ドラマで功名が辻っていう地味なドラマをやってたかと思います。あの主人公です。
 
一豊は元々、織田信長の家来でした。
それが、出世し遠州掛川藩の藩主になります。
そして関が原の戦いとなるわけですが、
幕末に倒幕を果たした薩長土肥の内、毛利(長州)、島津(薩摩)はとくに西軍だったのですが、
山内(土佐)は東軍でした。
 
しかも、土地をあっさりと徳川に与えた功で、
当時、長宗我部氏が治めていた土佐をごっそりといただいてしまうわけです。
山内容堂には、その時の、徳川に対する恩があった分、薩摩や長州とは違った見解があったのです。
 
また、土佐の流れからしますと、長宗我部氏の流れをくむ惣領や郷士が下士になっているという、
身分制度的な流れがありました。
 
ところが、武市半平太は倒幕、攘夷を持論として曲げず、主義主張してゆきます。
しかし、体制は徐々に、尊王攘夷から公武合体へ動いてゆきます。
これは、海外の諸国と日本の国力の差を冷静に見極め、単独攘夷では国が保てないという、
冷静な見解によるもので、世論が動くにつれ、容堂も公武合体で考えを固めます。
(吉田東洋も公武合体論者だったといいます)
 
↓山内容堂(写真)です。大の酒好きと言われていました。
 
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また、土佐としては、尊皇攘夷を決行するということは暴挙としてみなしていた感があります。
仮に、土佐勤王党を容堂が認め、長州と一緒に諸外国に喧嘩を売っていたとしたら、
最終的には倒幕が遅れるばかりか、
土佐は海外から攻撃を受けその後、遅かれ早かれ長州のように弾圧されていたでしょう。
 
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       ↑吉田東洋(写真)です。
 
   また、暗殺された吉田東洋は龍馬伝では人間味が薄く、異様な人間であるように書かれているのですが、
実際のところ、参政としては赤字だった土佐藩の財政を黒字変換させ、既得損益に守られていた営利集団を解体するなど、経済にも大きなメスを入れる反面、教育に力を入れ、小林塾を立ち上げ、多くの後進に学問を教えるなどしている(後藤象二郎や岩崎弥太郎は小林塾で吉田東洋に学んでいる)
 
  たしかに、人間的には難があり、強情で過信の見られる極めて気性の荒い一面を持つ人物だったらしいが、
下士の岩崎弥太郎にも学問を教えていることなどから推測するに、山内容堂とはひと味違った持論の持ち主とも思われます。
 
 
     武市半平太が龍馬に去られたのも、最終的に山内容堂に弾圧されたことも、ただ単に8月18日の政変が影響しているだけではなくて、この吉田東洋を暗殺したことがいちばんの遠因になっています。
 
 
しかしながら、何故、武市半平太はこれほどまでに人望があったのかが気になるところです。
岡田以蔵は人切りに疑問を抱き、龍馬と共に勝海舟に付いて用心棒を務めるものの、
土佐勤王党に容疑をかけられ最終的に世を去るときにも、
辞世の句では。。。。
 
君がため  つくす心は水の泡  消えにし後は  澄みわたる空
 
と読んでるんですが、ここで言う、君とは容堂ではなくて武市と思われます。
 
以蔵が武市を憎まなかったように、
武市もあのような仕打ちをした君主容堂を最後まで憎まないばかりか、
仲間の多くが土佐を見切って脱藩する中、
最後の最後まで藩主との溝を、話し合いで分かってもらうよう対峙し、
捕まると分かっていながら、最後まで土佐から逃げなかった。
 
武市半平太の思想の限界がそこにあるのでしょうが、
その潔さと忠義心こそが人望となっていたのかもしれません。
 
 
さときゅう
 

第189回!!坂本龍馬おそるべし

今回は、坂本龍馬をネタにいたします(笑)
いや~。この不景気だからこそ、龍馬を題材に大河ドラマ作るなんて、NHKもひさびさにやってくれます。。
 
 
見ていない皆様のためにも、宣伝隊長となりまして、かんたーんに、
坂本龍馬という人物を語ろうかなあと思います。
ドラマを見ておられる皆様(kakoさんなどなど)にも配慮いたしまして、ドラマの進行以降のネタには、
あんまし触れられませんが。。。。。。。(笑)
 
 
自己流の解説になりますが、柔らかく書いてゆきますので、
もし、坂本龍馬を知らない方おいででしたら見ていってください。
龍馬を知らないなんてもったいないです(笑)こんな革命家はやたらといませんので。。。。
 
 
ではでは、本題と参ります。
 
 
時代は幕末、300余年続いた徳川幕府は、ある事件によって存亡に危機に立たされます。
その事件とは、総督ペリー率いる黒船来航のことです。
 
 
ならなんで、外人が船乗ってやってきただけで幕府の存亡の危機になっちまうのかと思われるかもしれません。
 
が。。。。。。これは大きな大事件なのです!
 
 
黒船は蒸気機関によって動く巨大な船舶でした。
まず、その時点で、黒船を見た人間のほとんどは、一瞬にして、
日本という国は、実はとんでもない発展途上国であったのだということに気付いてしまうのです。
 
無論、日本が欧米諸国に遅れをとったのは、鎖国が原因なのですが、
(鎖国により外国の文化や人間を受け入れない社会を構築したため、文化の発展は遅れた)
日本の国が300余年の間、平和でかつ、外国の侵略を受けなかったのも、鎖国によるところが大きかったです。
 
しかしながら、日本人の造船技術では外国へ行けないのに、
外国人は巨大な船舶を用いて簡単に日本へやってこれることに対し、幕府はパニックになります。
 
 
日本は諸外国と互角に渡り合うために、変わらなくちゃいけない。。。。。。。!
 
このような激動の時代に、坂本龍馬は誕生しました。
 
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            この後の話は、日本にとって辛い話しになるのですが、ペリー率いるアメリカ側は、
     案の定、日本に対して開国(自国アメリカと貿易をするように)求めてきます。これが第二の事件です。
     アメリカは日本を後進国と判断していたため、日本に対して、高い関税をつけてきたのです。
 
 
     関税というのは、自国の国益を守るために、貿易する商材に国が付加価値をつけるもの。
     それにより価値を上げて生産者や業者を守るわけですが、この当時の関税は3倍だったというから、
     もう、あきらかに日本は足元を見られており舐められていたことは事は、明らかだったのです。
 
     極端な話し、このような状況下において貿易を続ければ、
     日本は豊かになるどころか、金や銀の産物の多くを海外に流出させる可能性が多々あったでしょう。
 
     そんな中、幕府はアメリカの国力に太刀打ちできないとばかりに、開国します。
     (この時、開国していなかったら居なかったで、日本の運命は泥沼だった可能性も高いです)
 
 
     この事に怒りを覚えた諸般の学者や有力者の中から、尊皇攘夷という思想が生まれます。
     この思想は、読んで字の如く、幕府ではなく朝廷を立て、開国ではなく異国を追い出すという思想です。
 
 
     龍馬が青年期を迎えた土佐(高知県)でもその思想は吹き荒れます。
     龍馬の幼なじみの武市瑞山(半平太)が土佐勤皇党を結成したのも、攘夷の流れです。
 
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  しかし、ここで龍馬と武市の人間的な違いが出てきます。
  武市は尊皇攘夷を叫ぶあまりストイックに陥るばかりか、自分と考えを対にする者を、徹底的に敵視します。
  早い話が、武市半平太が単なるテロリストへと向かうにあたり、
  龍馬は土佐勤皇党に見切りをつけ、土佐を捨て、それが皮肉にも視野を広げるきっかけとなります。
 
  過激な攘夷派の思想の根底には、一か八かのアメリカや諸外国との戦争が視野にあったと思います。
  それとは逆に、龍馬は敵を憎むよりまず先に、敵を知らなくては身動きは取れない事、
  そして、清濁合わせのみありとあらゆる思想や文化、芸術、産業を知らなければ、
  本当の意味で日本はおいてきぼりを食らって滅びていくという危機感を超越し、
  もはや、日本人同士が争っている場合ではないという結論に達したんだと思います。
 
  もう、この時点で、人間的スケールが違っていました。
 
 
  その後の龍馬の浪士でありながらの活躍は凄まじいです。
 
  ①日本で最初といわれる貿易商社、亀山社中。
  ②そして、それがさらに組織化されて私設海軍となった、海援隊。
  ③外国を知らなければありえない程画期的だった、船中八策(ただし、これは龍馬でない説も若干あり)
  ④仲違いしていた薩摩と長州を同盟させ、内乱を大きくさせず大政奉還させるきっかけを作った
  
  
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     戦国時代とか、源平合戦とか、たしかに歴史的には興味を誘うし、
     様々なエピソードはあると思います。
 
     しかしながら、明治維新という一大事件は、
     その根底に、諸外国から島国日本を侵略されかねないという圧倒的な危機感と、動揺、
     国を変えなければ世界から取り残されるのではないかという疎外感、
     海外という知らなかった世界を知るきっかけと未知への試行錯誤への期待感とが交じり合う、
     日本の歴史の中でも、またとない転換期であった感が否めず、心動かされます。
 
 
     また、坂本龍馬は、信じられないくらいの”人たらし”だったといいます。(笑)
     女たらしではなく、人たらし。。。。。(笑)
 
     この人は凄いと思ったら、必ずどんな困難も潜り抜けて会いに行く。
     攘夷派に属していながら、福井藩主、松平春嶽公に会いに行くとか、
     幕府方の勝海舟に師事を仰ぐとか、只者ではないです。。。
     敵だ味方だという振るいにかけるという選択肢は彼にはなかったのかもしれません。
 
     いつの時代にも、乱世には才能のあるものが吹き出し、
     それを作りえるものは、莫大なる憂いということでしょうか。。。。
 
     な。。。。なんかやたらと長ったらしく語ってしまいやしたが。。。(汗)
 
     龍馬の話はしだしたら止まらなくなっちゃうので、また次の機会にいたします(笑)
     ではでは皆様、よいGWをお過ごしください!
     
 
 
     さときゅう
     

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