Entries

第431回!!執念の土門拳(昭和30年代後半~40年代前半)

 
                          
 
 
                           レトロ写真館です。
 
              本日は、闘病しながら写真に打ち込む、後年の土門拳です。
 
 
 
イメージ 6
 
土門拳と棟方志功の親交は長く、山形県酒田市にある土門拳記念館に何度か行った事があるんですが、新聞折込のチラシ広告の裏紙に棟方が書いた、土門宛ての手紙がいくつか展示してありました。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
棟方志功は、自身の事を板の極道と呼び、
土門拳は写真の鬼、撮影の亡者とまで言われるくらいの仕事の鬼でした。
 
両者の性格は、おそらくは正反対ではあるものの、仕事に対する執念では通じるものがあったんだと思います。
 
 
イメージ 1
 イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(左)考え込む土門
(右)2度にわたる脳出血を克服し、リハビリを続けながらも足に後遺症を持っていた土門が、
   まさに命がけで行った撮影旅行での、一番の難関、鳥取の三徳山投入堂への強行軍です。
   日本一危険な国宝とまで言われている所へ、冬に行く度胸、凄すぎます。
 
   http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/63310511.html ←恥ずかしながら行けなかった三徳山投入堂の記                                       事です。
 
 
イメージ 2
 
 
土門は、昭和35年1月に写真集(筑豊のこどもたち)を発表します。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/60450645.html ←以前書きました、筑豊のこどもたちの記事です。
これが写真家土門拳の一つのライフワークになるのですが、
わずかその1か月後に、脳出血で倒れます。
 
 
それからは、リハビリを懸命にこなし復活。
これまでの人物重視の撮影からは一転して、寺社仏閣をとらえるようになります。
 
 
 
イメージ 3
 
 
しかし、その後も昭和43年に2度目の脳出血。
その際も、驚異的なリハビリ効果で写真に向き合うのですが、
昭和54年に3度目の脳の病気(脳血栓)になってしまい。
以後平成2年までの10年間、意識が戻らず帰らぬ人となります(享年80)
 
イメージ 4
 
若い頃、土門は画家志望でその夢が叶わず、後に写真家を目指した経緯があり、
リハビリの際に描いた絵画が多く残されています。
 
イメージ 5
 
 
死ぬまでカメラを離したくなかった。。。。
そんな執念が伝わってきます。
 
 
 
動画も是非、ご覧ください。
 
 
ではでは~
 
 
さときゅう
 
 
 
     *ユーチューブ投稿元のCrevisChannel様に心から感謝いたします。
 
スポンサーサイト



第171回!筑豊の子供たちより、抜粋(1960年、土門拳)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

おはようございます


今回は、土門拳写真集、”筑豊の子供たち”です。
2年程前に記事にしたことがあるのですが、
前回の記事では、資料も少なく薄っぺらい内容だったので、
今回再更新します。



記事内容が前回と少々かぶる点もあるかと思うのですが、
ご了承ください。



この写真集は、土門拳が1959年(昭和34年)、
当時日本は未曾有の高度経済成長期にいる中、
既にエネルギー革命(石炭から石油への変換期)がおこり、
あれだけ賑わいのあったはずの炭鉱の町どころか、
石炭業界そのものが斜陽にあり、労使間の闘争も激化する中、
筑豊の炭田の町に住む子供たちの貧しい暮らしを告発し、
社会に知らしめるため、土門が破格の100円にて、
ザラ紙(質の悪い紙質)に落としてだれでも買える様にして発売に踏み切った、
土門拳の名をとどろかしたとも言うべく、写真集です。



土門さんは、
筑豊に暮らするみえちゃん姉妹(表紙になっている女の子です)に着目。
るみえちゃんはお母さんが亡くなっており、
お父さんと妹と暮らしている。

(続編ではお父さんが亡くなる)

土門さん個人もるみえちゃん姉妹をあんじており、
その後も交流があり、旅行に連れて行ったりしたといいます。


写真の内容としては。。。



①筑豊のボタ山(掘り出した石炭のヤマ)の麓の炭鉱街と、
 子供だけ取り残された昼間の風景(白黒なので分かり辛いですが)

②学校にて。給食の当たらない、弁当を持っていない子供は、
 食事時間ただもくもくと絵本を読んでいる。
 校長先生は絵本を読んでいる子供たちの顔を写さないでほしいと、
 土門に話したという。

③学校の遊び時間の風景。
 遊具、設備は整わなくても、楽しむ姿はみんな一緒。



今の中国を見ていると、
この写真集で見た風景が見事にかぶります。
しかも、この頃の日本よりももっとひどい、格差を。

個人的な思いではありますが、
土門拳はリアリズムを重要視した写真家であり、
見るものへ伝える手法として、視覚的に入るものにどれだけ訴えられるかを、
とことん追求した写真家なのだと思われます。

又、土門さんの初期の写真集は子供の生活を撮った写真集が多いです。
他にも東京都(当時は、東京市?)江東の子供たちも、
昭和28年~30年くらいにかけて写していますが、
同じ貧乏でも、筑豊と江東では大きすぎる格差がありました。

土門さんは子供を写すことで、大人の社会を投影させ、
それそのものが、社会だどのようなものかを語らせるという手法。
子供=大人、社会を映す鏡である。という信念があったのではないかと、
感じさせられます。



今回もまた、
勝手ながらのうんちくたれてしまいましたが、
お付き合いいただきましてありがとうございます。


当ブログでの、
これまで更新いたしました炭鉱関連の記事に飛べやすいよう、
リンク先貼っておきます。
お時間ゆとりありますようでしたら、見ていってください。


◎軍艦島(長崎県五島列島、端島)
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/41219296.html←廃墟と化した炭鉱の島、軍艦島
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/57044329.html←在りし日の、軍艦島(貴重な資料です)
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/57042357.html←軍艦島からのメッセージ(ユーチューブ)

◎土門拳写真集関連
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/48072325.html←土門拳、筑豊の子供たち(前記事)
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/50024504.html←腕白小僧がいた(土門拳、小学館)

◎その他
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/50570383.html←映画、フラガール(炭鉱の町、いわき)




以上宣伝でした(汗)



では今回はこの辺でおひらきと参ります。
お越し頂いてありがとうございました。。。




さときゅう




 

カンバスに向かう土門拳(昭和30年代前半撮影)

イメージ 1

久々になりますが、
今回は写真家、故、土門拳の記事です。
(かなり、久々の更新になります。)



久々にブックオフにて土門さんの写真集発掘したもんで(笑)




土門さんは私生活ではおっかないおっちゃんだったようですが、
趣味は多彩で絵も描いていました。
珍しい、絵を描いている土門さんです。



病気が悪化した際も、
リハビリを兼て絵を描いていたとか。


花の絵が好きだったそうです。


土門さんは戦前や戦後間もない頃は子供たちや戦後の町の風景、
著名人の素顔に密着していたものの、
後年は動かない寺社仏閣を写す機会が多いように思われます。


絵も動かない静物を描くのがすきだったみたいです。


書庫に土門さんの記事もありますので、
お気軽にご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/50024504.html←以前書きました、土門さんの記事です




さときゅう

腕白小僧がいた(土門拳、小学館文庫)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

土門拳さんの写真を凝縮した、写真集&エッセイ集です。




土門さんの写真は寺社仏閣や子供の写真が多いんですが、
特に子供の写真は生き生きとしていて面白いです。


子供たちは、終戦という大きな政変を経ていながらも底抜けに明るく、
貧しいながらもたくましく、満面の笑顔を振りまいてくれています。

唯一、悲しげなのが、
教室の写真なんですが、
タイトルが”弁当のない子”といいます。
弁当がない事を恥ずかしがって、絵本を読んでいるふりをして、
顔を隠しています。


食える今の時代は、幸せなんだよと言うかの如くです。


土門は、子供の何気ない笑顔を写しながらも、
次第に、筑豊や広島に目を向けていきます。

報道カメラマンを経て、子供の写真を撮り続けていただけに、
筑豊や広島での怒りや憤りは計り知れないものだったんでしょう。

(余談ですが、土門さんは、昭和22年に次女を事故で亡くしている。)



写真集は買うと高くて、図書館で読むのが精一杯なんですが、
この本は文庫になっていて、790円と、安いです。

だまされたと思って、読んでみては如何でしょうか?


昭和が思い出されますよー。

筑豊の子供たち(土門拳)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

酒田にて、土門拳記念館を見てきました。


写真最後に写る湖は、なんと!
”拳湖”というのだとか。


土門拳の作品としては、仏像や、戦後戦中の町並みや生活、
また、広島。
子供たちの生活をとらえた写真も数多いんですが、




写真の1~2枚目が、彼の代表作の一つ、
”筑豊の子供たち”
です。

この写真集の背景としては、、、、。


昭和30年代に入ると、
それまでエネルギーの中心だった石炭は息をひそめだし、
その代わりに石油が台頭してきます。


それが故、日本各地にあった石炭の町は経営が苦しくなり、
夕張や、長崎の端島(軍艦島)のように、衰退していきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/41219296.html(軍艦島の記事です)


そんな中、筑豊の、三井三池炭鉱では、
労働者と雇い主の間で、血みどろの労働闘争が繰り広げられていました。
(これを、三井三池闘争というのですが、)
マスコミや諸団体等が、労働者を支援して、
”黒い羽根共同募金”を企画したのもこの頃。

http://homepage1.nifty.com/sukabura/event6.htm
(この頃の筑豊について詳しい記事を発見しました。)



そんな時代背景の中、
仕事以上に闘争が激化する中での、
労働者たちの子供たちに、土門のカメラは向かっていったわけです。



土門は怒りで煮えくり返る思いを、内に秘めながら、
子供たちの生活をシャッターにとらえ、
発売時には、より多くの人に買ってもらい、
筑豊で何が起きているのか知ってもらおうとして、紙質を落とし、
価格を削り、粗利も削り、
読者が求めやすく、読みやすく手に取りやすくしたといいます。



今の時代は、
病んでいるとか、おかしくなっているとよく言われますが、
逃れられない悲しみとは違うと思ったりすることもあります。

Extra

プロフィール

satokyu2006

Author:satokyu2006
FC2ブログへようこそ!

カレンダー

01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

最新記事

月別アーカイブ