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第847回!!ビルの谷間の露天商(昭和30年代前半撮影)



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レトロ写真館(軍艦島=長崎端島)です。



店を構えるだけのテナントがなかったのか、
露天商を営む店が多いように見えるのですが、
外の通りにさえ店を開くだけのスペースすらないほどのひと通りと活気。
そんな一枚です。



当ブログにて毎度、ずうっとしつこく追い続けておりました長崎端島。
ついに世界遺産登録されました!!通称軍艦島です。
(↑10年前の記事になりますが、軍艦島に興味がありましたらご覧下さい)


当初はほとんど文献ですら見ることができず情報収集がやっとだったのですが、
ここ数年間の間で、軍艦島関連の書籍、写真集が多く発行され、
ユーチューブでの動画も増えてきて、見るのが楽しみになってます。



高度経済成長期の在りし日の軍艦島の動画もぜひご覧ください。



特に、一つ目の動画なのですが、1965年撮影とされています。
この放送では一番栄えているかのように伝えられているのに、
これからわずか7年後の1972年には、炭鉱の閉山。
さらには、島内にほかの産業が全くないがゆえの全島民離島という悲しい現実を突きつけられます。
存在するのに帰れぬ故郷。


深く考えさせられる動画です。



*ユーチューブ投稿元の懐かしの毎日ニュース 様に心から感謝いたします。


*ユーチューブ投稿元の衝撃・驚愕チャンネル 様に心から感謝いたします。

*ユーチューブ投稿元の長崎観光 様に心から感謝いたします。

*ユーチューブ投稿元のDenzel Zammit  様に心から感謝いたします。
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第731回!!逆さ吊りにされた傘(昭和30年代撮影)

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レトロ写真館(軍艦島=長崎端島)です。

逆さ吊りにされた傘が並んでいます。


たぶん傘を干しているだけなんだとは思うんですが、
住居そのものが高層ビルで、しかもエレベーターが無いため、
ここから落としてしまったら取りに行くのはあきらかに地獄・・・・(笑)


しかも天井が吹き抜けになっているらしく、
急な悪天候や台風の接近が日常だった事を考えると、
不思議な並べ方です。


雨水をためるためとか・・・でもないか。
敷地が狭いからなんだろうか・・

なんだか不思議な一枚です。





第677回!!緑なき島での、青空農園(昭和30年代撮影)




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レトロ写真館です。


久々の、軍艦島です。
軍艦島の愛称以外でも、緑なき島と呼ばれることのあった長崎は五島列島端島。
いよいよ世界遺産へ向けての本格始動が始まったと言っても過言ではありませんが・・・・。


そんな軍艦島でも、農業を営んでいた過去があった!!
という写真の数々です。


けれど場所は高層ビルの真上だったようで、
農業とは言っても、家庭菜園レベルの耕地しか確保できなかったんだと思います。


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↑分かり辛い写真なのですが、ビルの屋上である事が分かる一枚です。
この場所に土を運んでくる事そのものが大変だったろうし、
このコンクリートジャングルのような島で、どこから土を調達したのか、
肥料は何を使っていたのか?台風は乗り切れたのかとか・・・疑問は尽きないのですが。


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イモ(薩摩芋?)の収穫です。
自分で育てた作物を自分で食べるっていうのは、これまた格別では?



ではでは~。


*ユーチューブ投稿元の懐かしの毎日ニュース 様に心から感謝いたします。


第666回!!軍艦島の御神輿(昭和30年代撮影)



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レトロ写真館(軍艦島=長崎県五島列島端島)です。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/41219296.html  ←軍艦島はこんな島です。


世界遺産への道が開けてきた軍艦島。
当ブログといたしましては、10年前の開設当初から追い続けてまいりました。
今後も変わらず注目してまいります!!


そんなわけでして今回は、神事である御神輿です。


軍艦島は人口の異常過密と炭鉱の両方を、
面積の極めて小さい離島で抱えていたため、御神輿までもがこんな感じだったようです。


狭いけれども、かなり密なコミュニティー。
しかも島民みな同じ会社の従業員家族っていうことになります。


団結力は並大抵のものではなさそうですが、
裏を返せば、その枠から外れてしまったら・・・・・とも思う。


複雑なもんです。



話しは変わりますが、ユーチューブにて発見した動画なのですが・・
ドローンで軍艦島全景(現在)を撮影された方の動画がありました。
極めて貴重なものですので、是非!!ご覧ください!!


ではでは~。


*ユーチューブ投稿元のあおぞら映像.com 様に心から感謝いたします!!

第648回!!軍艦島の露天商(昭和30年代撮影)





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レトロ写真館(軍艦島=端島)です。


写真は、活気があった頃の長崎端島(軍艦島)での、露天商です。
資料によると、
軍艦島は台風直下になることが多くかったそうで、露天商の仕事もひと苦労。


また、天候が悪い際の欠航が後を絶たず、
一度業者さんが島へ入ったらなかなか帰れないとかで、
さらに大変だったようです。


最話変わりますがここ最近になって、
ヤフーさんがブログのアクセス分析という面白いサービスを開始したため、
当ブログへお越しくだすった方々の検索傾向が分かるようになったのですが、
世界遺産へ近付いた影響からか、軍艦島関連の記事へのアクセスが増えて感謝しております。


専用の書庫も用意しておりますので、是非ご覧ください。


ではでは~。

第635回!!崖の上の社殿(昭和30年代撮影=長崎端島)





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レトロ写真館です。


とりあえずではありますが、お約束に一言言わせていただきます。
タイトルをご覧の皆様、ポニョではありません(笑)
iいつもながらのつまらんネタ、ご清聴誠にありがとうございます。
掴みが最悪なところで、本題と参ります。



写真は長崎県五島列島の端島こと、通称軍艦島です。
久々の軍艦島の写真、書庫の更新になります。
近頃では軍艦島の写真集はたくさん出されていて、図書館等での蔵書率も高く、
行った事が無い人でも身近に見れるようになりました。



また、世界遺産になる流れとなる中でひと波乱起こっているため、
今現在、渦中の地でもあります。


(↓以下は、これまで当ブログで紹介いたしました軍艦島の記事です)

http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/62786272.html ←軍艦島(端島)での生活風景です。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/62407068.html ←端島の中心街と言われた、端島銀座です。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/62352581.html  ←軍艦島から学校の先生が去って行きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/57044329.html ←某雑誌で見つけました、在りし日の端島です。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/58591596.html ←近年撮影された、軍艦島の航空動画です。
    http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/64922100.html  ←軍艦島(端島)での生活風景(その②)です。

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写真は軍艦島でも最も標高の高い場所に位置する、
神社の社殿です。
(標高と言いましても、軍艦島は作り重ねられたビル群です)


軍艦島は面積が極めて狭いうえに人口爆発していたため、
寺社仏閣を作る場所は限られており、
神社の間隣りに寺があったそうで、しかもご覧のとおりすっさまじい立地条件です。


ただ、これにはおそらく、台風による海風からの浸食も配慮されていたのでしょう。
(九州は台風の通過点として、端島はその立地からして高波強風の的になっていました)
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/62696714.html  ←軍艦島を通過する台風の凄まじさを記事にしました。


ちなみに超余談なのですが、
このギリギリの敷地内に弓道場もあったそうです。
(きっと、試合があるたびに船で長崎へ渡っていたんでしょう。それはそれで大変です。)



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最近に撮影された軍艦島の神社の写真です。
本殿は既に風化したのか跡形もない様子で、お堂と鳥居だけがあるようです。
また、神社の鳥居には昭和2年奉納とあります。


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世界遺産になるためには、
一度お隣の国とじっくり腰を据えて話し合うべきなのかもしれません。


最後になりましたが、
極めて貴重な軍艦島操業時の動画がありましたので貼らせていただきます。
この場をかりまして、写真集を出している皆様、
動画をアップしてくださっている皆様に心より感謝いたします。


是非ご覧ください。
ではでは~




さときゅう



*(追伸)他書庫に散らばっている軍艦島関連の記事を書庫にまとめました。
興味がございましたら是非ご覧ください


*ユーチューブ投稿元の太平洋旅行社様に心から感謝いたします。



*ユーチューブ投稿元の長崎観光 様に心から感謝いたします。


*ユーチューブ投稿元のTube OSM 様に心から感謝いたします。

第347回!!学校(1960年代=五島列島端島=軍艦島)

 
 
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久しぶりの更新になります。
 
レトロ写真館です。
 
今回は、軍艦島(長崎県五島列島端島)の端島小中学校です。
軍艦島には最盛期で、およそ5~6000人の住民がいたとのことですが、
学校はこの一校に統合されていたようです。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/41219296.html ←長崎県五島列島端島の記事です。
 
上記リンク記事の写真の中に、サヨナラハシマという人文字がありますが、
その人文字は、1972年に端島炭鉱が全面閉鎖を決め、全島離島(廃島)になった際の、
記念として残された最後のものだったと思われます。
 
是非ご覧下さい。
 
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学校はなんと、鉄筋コンクリート7階建て!!
階段登るのもしんどかったのでは。。。
 
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現在の端島小中学校の写真です。
 
 
こうやってみると、やっぱり
たて壊されてはいないとはいえ、存在しているにもかかわらず行けない学び舎。
 
なんだか寂しさを感じます。
 
 
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第292回!!軍艦島、暮らしの風景①(端島=昭和30年代撮影)

 
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レトロ写真館です。
長崎県五島列島端島こと、軍艦島です。
(軍艦島マンションの記事と重複しているため、ややこしい感じになっちゃってますが。。。笑)
 
↑海というものは荒れたときと穏やかな時とではまったく違う顔をしてます。
撮影されたカメラマンさんの技でしょうか、シルエット調の釣り人さんです。
 
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↑祭事(神輿)の様子です。
軍艦島では、寺と神社が1つの場所で共有されていたらしく、
敷地がない関係で、1つのお寺で全ての宗派をカバーしていたとのこと。
お盆の日なんか、お坊さんは徹夜の稼業に追われてたんでしょうか(笑)
 
よかれわるかれ、いろんな意味で島民間の対話がはかられていたんでしょう。
 
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↑大道芸人による演芸とのこと。
端島は島ごとが炭鉱の街なため、端島に興行にくるとなると、
おそらく日帰りは不可能だったのではないかと。。。。。
 
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↑こちらは春闘の様子。
島民全員が同じ会社の鉱員であったはずなんで、
街そのものがシュプレヒコールを挙げてるといった感じでしょうか。
 
けれど、見た感じ笑顔の人もいるようで危機感は伝わってきません。
なので、まだエネルギー革命となる以前の写真なのかもしれないです。(笑)
 

第285回!!台風との戦い(昭和30年代前半撮影=軍艦島)

 
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今年初となります、レトロ写真館です。
 
今回は久々となりましたが、
長崎県五島列島の端島こと、通称軍艦島です。
 
 
軍艦島では、一番の問題点が台風(時化)と飲料水問題だったといいます。
狭い島内には山や川はなく、地下水も塩分を含んでいるらしく飲料水として使えず、
本土から船によって水を運んでいたといいます。
 
 
また、九州でも、ここ五島列島は台風銀座であったため、
端島が軍艦島と呼ばれるきっかけにもなったように、
島全体を鉄筋コンクリートのビルディングで取り囲み、堤防も高くした訳は、
この手厳しい自然環境にもあったようです。
 
 
また、当時在りし日の軍艦島について語られている本によると、
島内にある木造建築はほんの数軒であり、炭鉱の偉い人などのみの住居だったそうです。
 
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↑右上は、台風で避難している方々です。
昭和30年代に大規模な台風に何度か見舞われたことがきっかけで、
端島からは、ほぼ全域で木造建築が消滅して鉄筋コンクリート化が薦められたらしいです。
 
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↑これは煙ではなく、波しぶきです。見た所ビルの5~6階にまで届いてます。
波しぶきは塩水の霧のようなものであるため、建築物の腐食や金属の錆化も問題に。。。。
 
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↑台風が来てしまっても、船が出せず島の外には逃げ場がないため、
島内の高いビルの屋上等に逃げるしかなかったらしいです。
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↑現在の軍艦島全景です。

第278回!!端島銀座(昭和30年代前半撮影=軍艦島)

 
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レトロ写真館です。
今回は、長崎県五島列島端島(通称、軍艦島)です。
 
 
写っている地区は、過去に端島銀座と言われていた一帯です。
端島では一番のメインストリートだったらしく、
長い階段の下に多くの露天商や朝市が立っていたらしいです。
 
 
端島は年間を通して、大規模な台風がたくさんやってきて、
その都度想像を絶する波しぶきや海水が島内に入り込んでくる事、
また強風にさらされること随時であったために、木造建築では耐久的に維持管理が難しく、
また狭い島内で4000人近くの作業員が住むためにも面積的な限界から、
島全体に、当時としては考えられないほどの高層マンションが乱立していました。
 
 
中央に移る階段は、当時、地獄段と言われていたそうで、
高層ビルが乱立していながらにしてエレベーターがほとんどなかった軍艦島では、
階段を上がらなくてはいけない状況が日々日常であった事が伺えます。
 
 
その中でも、この地獄段は段数が多かったんだと思います。
 
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↑休日に賑わう当時の端島銀座のスナップ。
 
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↑今現在(撮影は4~5年前とのことです)の端島銀座です。
2枚上の写真とは同位置からの写真撮影です。
島が主を失い今では誰もいないですが、面影は見事に残っています。
 
比べてみるとそのままに朽ちてきたといった感じがします。
 
当ブログといたしましては、今後とも書庫の中軸と位置付けて、
今後も軍艦島の資料、写真、情報を綴ってまいります。
 
 
 
 

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