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チェ.ゲバラ③(キューバ革命編)

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久々となりましたが、
チェ.ゲバラ記事の更新です。



前回までは、祖国アルゼンチンを出て、
ラテンアメリカを周遊する中、フィデルカストロと出会うところまで、
お送りいたしました。

http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/60032649.html ←前回の記事です



今回は、キューバ革命についてお送りいたします。
チンタラチンタラの更新となっておりますが、
何卒お付き合いお願いいたします。



メキシコにて意気投合した
ゲバラとカストロその他大勢の憂いあるキューバ人亡命者たちは、
メキシコにて戦闘演習(レスリング、空手、ボート漕ぎ、レスリング、射撃等)を行い、
キューバ上陸作戦を煮詰めてゆきます。


しかし、メキシコにて滞在していたキューバ人亡命者の反逆計画は、
いともたやすく発覚。
当時のキューババチスタ政権からの強烈な圧力により、
メキシコ政府は彼らを一網打尽に逮捕してしまいます。
(この時、カストロとゲバラそして妻イルダも逮捕された。)


しかし、ここでまた、
奇跡が起こる。
カストロの弟、ラウルが捕まっておらず、
メキシコの民衆派指導者と呼ばれた元大統領ラサロを仲介役に引っ張り出して、
メキシコ政府と交渉。


全員を釈放させます。


この一件から、
キューバ人亡命者たちは、
いち早く革命行動に出ないと手遅れになると、行動を早めるかたちになります。


そして、釈放されたカストロはまず、
なけなしの金をはたいて、船を一艘買います。
これが、伝説の”グランマ号”(グランマ=母なる)なんですが、
この船、定員がなんと!22人、しかも、かなりのボロ船!
この船に100人以上が乗り込んで、
キューバ上陸が始まるのです。


言い方としてはちょっと不謹慎にはなりますが、
面白い点は、
キューバ内の戦いが思ったよりも泥沼化せず、
それが又伝説なのですが、
何故、泥沼化しなかったのか?

それは、ラジオの多様と、敵をも受け入れるカストロ陣営の懐の厚さが一番の要因でした。


反乱軍(カストロ側)の捕虜は間違いなくバチスタ側に厳罰される中、
バチスタ側の捕虜はゲバラ、カストロ等に厚遇されたといいます。


そんな中、ラジオベオルテという民間のラジオを発信します。


ここでカストロは都市部に向かって、
延々とバチスタ政権の人権弾圧、独裁体制、圧政への怒り、
又、バチスタ打倒後の、社会主義基盤回復への願望、
そして、バチスタ打倒のための住民蜂起を訴え続けます。


そして、最終的には、
圧倒的な住民の支持を得てゆくのです。


各地で住民蜂起をされる中、
寝返った捕虜は革命軍に厚遇されていく中でバチスタ側は完全に士気を失い、
最終的には首都のハバナは陥落、
カストロ入城と相成ります。



バチスタの陣営の戦力は、
ボロ船にて上陸のカストロのゲリラ部隊の数十倍、数百倍だったといわれています。
しかも、近代兵器も多数あったといいます。



そして、
ここから、
キューバの大変革が始まってゆくのです。




ではでは、
今回はココまでといたします。



次回から、
ゲバラの個性が出てゆく記事になっていくと思います。
是非ご覧ください。




さときゅう

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第132回!!チェ.ゲバラ②(フィデル.カストロとの出会い)

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なかなか更新できずスミマセン。


キューバ書庫の更新です。
今回はゲバラ第二弾です。


よくよく考えてみれば、
歴史上名だたる戦国武将、政治家はほとんどが革命家だったりします。
平和な世を夢見て戦い、そして散ってゆく。
三国志の劉備玄徳も、
戦国時代の直江兼継も、
武田信玄も、織田信長も、豊臣秀吉も、
幕末の坂本龍馬も、
西郷隆盛も、大久保利通も、木戸孝允も、勝海舟も、
みーんな、革命家だったのです。


さてさて、今となっては知名度のとても低い、
されど伝説のキューバの革命家のお話。
続けてまいりましょう......。


前回はバイクで旅するところまででした。
http://blogs.yahoo.co.jp/satokyu2006/59974359.html ←前回の記事です(チェ.ゲバラ①)



ではでは参ります。



ゲバラはアルゼンチンを出国した後、
南米各国を、今度は遊びではなく、
政治的疑問を持って旅をしていきます。



そんな中、行く先々で様々な政治行事や集会に参加したといいます。



そんな中、
メキシコでひとりのキューバ人弁護士の青年と出会います。


フィデル.カストロです。



ここで、ちょっと脱線しまして、
カストロの話をしなくてはなりません。


カストロはキューバの比較的裕福なサトウキビ農園の子として生まれ、
アメリカに夢を抱きながら子供時代を過ごした所までは、ゲバラと似ています。


しかし、その頃のキューバはバチスタという軍人独裁者によって悲惨さを極めていた。
(心臓医療のチームバチスタとは全く関係がありません。たまたま名前がいっしょなだけです。)
バチスタは猜疑心の強さから軍隊を乱用、国内の監視体制を極めて国民の自由を奪い、
民主主義の精神を蹂躙し、国内は監獄さながら、
その一方、国内企業の大半の資本を握るアメリカには頭が上がらず、
アメリカ兵が遊ぶためにいいように首都のハバナは堕落していたといわれています。



この国情を耐えかねたカストロは政治家を目指し大学に入学、
政治家として当選し国政に入ると、公然とバチスタを批判します。


しかし、政治犯として投獄されます。
この時、弁護士を雇わず、自分を自分で弁護したのはあまりにも有名な話。


カストロは出所後、
今度は勝ち目のないわずかの兵で武装蜂起します。
兵舎を襲撃するも、あえなく敗北。


ただ、
そこで敗れたとしても、
国内に対しての意識改革、怒りの火種を作ることが目的だったとされています。


今度は国外退去を命じられます。


そしてやってきたのが、メキシコ。
キューバ人亡命者と共に、
メキシコで再起を待っていたのです。


そんな中、
カストロとゲバラが出会うわけです。


ゲバラはメキシコに入る前、
グアテマラを旅したときに、
既に多くのキューバ人亡命者との交流があり、
カストロにはこの頃から憧れを抱いていたらしく、
面会することを心待ちにしていたといいます。



ここから、
2人の人生、
そして小国キューバの劇的な変貌が始まってゆくのです。。。




ではでは、
今回はコレまでといたします。



どんなコメントでもかまいません。
いただけたら嬉しいです。



また、ぼちぼち更新してまいります。
(この調子だとかなり長くなりそうですが。。。。。笑)




さときゅう

第131回!!チェ.ゲバラ①(ラテンアメリカ横断編)

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おかげさまで、1000記事目となりました!
貧乏学入門です。


ココまで続けられましたことは、
ひとえに見に来てくださる方がおるからと思っております。
訪問者数が0にでもならない限りは、
マイペースながらやって行こうと思っておりますので、
これからも、冷やかしOKですので、
遊びに来ていただければ、これ幸いでございます。



さてさて今回なのですが、
かねてから予告しておりました、
キューバ関連の記事と参ります。



今回は、
チェ.ゲバラです。


ただ、この人を語ると一回の更新では語りつくせないため、
紙芝居形式で参ります(笑)


番号振ってまいりますので、
断片的に更新と参ります。
また、個人的な見解の記事でありますので、
独断と偏見もあるかもしれません。


また、
個人的な考えとしては、
あくまでも、共産主義は理想に過ぎないこと。
そして、利益を伴はなくては、人の就労意欲の向上には限界があることを踏まえたうえの記事です。

もう一点ですが、いかなる場合においても、
ゲリラ等革命行動は話し合いに劣るということ、
また、そのことでゲバラを評価しているわけではないという点をご理解いただければ幸いです。


あくまで、軍服を着た平和主義者としてのゲバラ、
この人物の人間性をクローズアップしていきます。


かなり遠まわしな前置きとなりましたが、
どうかご了承ください。

ちょっと長ったらしい記事の連続になると思います。
お暇でしたら是非読んでってくださいナ。。。。。



では参ります。







ゲバラの本名は、エルネスト.ゲバラ。
生まれはアルゼンチンで、比較的裕福な環境で育った。
父母は転職を繰り返すものの子煩悩で優しく、
恵まれた環境で育っている。


唯一、逆境であったといえることは、
ゲバラは幼い頃からかなり重度の喘息持ちだった。


それが何らかの影響となっているのかは不明だが、
ゲバラは医師を志し、高校を出ると、
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの医科大学に入学し、
医学のみならず、哲学、文学、心理学なども貪欲に勉強したという。
また、学生時代のゲバラは、カストロ同様、アメリカに対して憧れを抱いていたという。


また、その頃、自転車で国内を踏破したり、
発明をして商売をしたり、
商船に看護兵として乗り込んだりした。


とまぁ、
ここまではちょっと変わっってはいるものの、
個性的な優等生としか見えないんですが、、、。
ここからが大変動です。



ゲバラは自分探しをかねて、
高校時代の親友、グラナードと共に、
オートバイで足掛け8ヶ月にも及ぶラテンアメリカ大陸大放浪の旅を決意するのです。


この旅がゲバラを変えたといわれています。
映画”モーターサイクルダイアリーズ”(見たことないですが)
にもなってますが、
大金を持たず、多額の出費には労働で返しながらの旅で、
消防署、警察、農園、病院等で宿を借りながら旅をしています。

また、有名なエピソードとしては、
ハンセン氏病のサナトリウムに長期滞在したときのエピソード。

ハンセン氏病は、
感染力はきわめて低い病気だったにも関わらず、
この当時は日本の例にもあるように、
世界的に偏見の目にさらされていた。

しかし、
ゲバラとグラナードは医師としての知識も豊富だったため、
患者を勇気付けようと食客となっていたこの病院で音楽祭を企画したり、
共同作業やイベントを積極的に企画するなどしてふれ合った。

また、サッカーのコーチをして旅費を稼いだ時期もある。
サッカーのキーパーとして試合に参加して、
天才的な活躍をしたという伝説を持っている。

その後、ペルーのマチュピチュ遺跡やアマゾンの密林地帯に至るまで、
貪欲にラテンアメリカを見聞きして脳裏に焼き付けていく。

しかし、それと同時に、
ゲバラは貧困という苦しみと向き合う人々の生活も目のあたりにした。

ヨーロッパ列強やアメリカからの企業搾取によって満たされない現地企業、
またそれらの衛星国での独裁者による搾取や人権侵害
(というよりも、南米では、人権という概念が定着していなかった時代だった)
また、それにより苦しむ社会の末端で生活を送る貧困層の人々の暮らし。


これらを見ることで、ゲバラの人生設計は劇的に変わることとなった。

遊び半分で旅するはずだったものが、
一気に政治に対する疑問や怒りに変わっていったのだ。


旅を終えてアルゼンチンに戻ったゲバラは、
以前では信じられないほどに勉強に打ち込み、
医師の資格を得て、ハンセン病、アレルギー、神経生理学、心理学に更に取り組む。


そして、
学校を出たゲバラは
当時のペロン(ペロンの奥さんがエビータです)政権下の独裁色もあってか、
祖国に魅力を感じなくなり、出国を決意します。
行き先は、親友グラナードが住んでいるベネズエラ。


この後にまたしてもゲバラの放浪が始まります。
今度は遊びのたびではなく、
政治に対する憂いを持った放浪の旅が............。



というわけで、
ちょいと手が疲れてきましたので、
今回はココまでと参ります。



たぶん、長期連載となりますが、
気長にお付き合いお願いいたします。。。
キューバの記事、ゲバラの記事はなかなかブログでは存在しませんよ~。
がんばりマス。。



ではでは、
続きは次回の講釈で(笑)




さときゅう

第三十二回!キューバの食卓(一週間6698円)

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久し振りの、キューバネタですm(__)m

おかげさまで、この、貧乏学入門も、のべ3000人のお客様が来てくださいましたが、
出だしは、実は一日4~5人見にきてくれればいい方なくらいの、静かなブログでした。


最初の頃は、キューバ特集をメインにやってましたが、いつのまにやら方向が変わり、
いろんな記事に脱線してしまってます。


今回は、以前テレビでやっていて、記事にした”世界一受けたい授業”の、
”世界の家族と一週間の食卓”からです。


キューバは、社会主義国であり、その中でも、旧S国や現C国とは違い、
国民性は陽気でほがらか、そして、情熱的なのが特徴です。
共産主義が、理想でしかない中で、唯一別格なイメージのある国でもあります。


しかし、旧ソビエトが崩壊し、アメリカから痛烈な経済封鎖を受ける中、
生活はかなり厳しくなり、”ボートピープル”を出した頃もあります。


そんな中、部分的に”平等”の殻を打ち破り(とはいえ、格差はかなり小さいです)、
観光等に力を入れる中、生活は徐々に回復路線に乗ってるといいます。


そんなキューバの、一般的家庭の食卓です。
1週間の一家の食費は6698円。
これは、国から支給される主食を省いた金額です。


キューバの国に関する記事は、だいぶ前にいくつか書いていますが、
貧乏学のお手本みたいな、スローなお国です。
お時間ございましたら、ご覧ください。書庫にありますです。


                さときゅう

第十回、キューバという国その2

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 今日は3月18日、貧乏ブログ作って40日弱ですが、嬉しいことに(涙)訪問客140人を突破しました。ウルウルものです。


 話変わりまして、昨日、新たに”あんちゅのお部屋”と”DEN-DEN-DEN”をファン登録させて頂きました。あんちゅさんは、キューバに行ってこられて、多くの写真、エッセイをお書きです。キューバは日本とは正式な国交や航路がなく、貴重な写真で充実しております。おすすめです。また、でんでんでんの、MAMAOさんは、小児癌のお子様の成長過程を通し、また様々な目で記事を書いておられて、目が離せません。(貧乏ブログにもちょくちょく遊びに来てください)


 では、記念すべき第10回とまいります。

  
 世界野球WBA、日本は準決勝進出と、熱く盛り上がっておりますが、そのさなか、実は一つ、大変な問題も浮上しております。それは、キューバ問題です。

第二回で、キューバという国とその風土、いきさつを軽く説明させていただきましたが(読んでおられないかたは読んでいただけたら嬉しいデス)、早い話が、キューバとアメリカは国交がありません。


 そんな中、キューバが勝ち残れば、アメリカで試合になるらしいのです。恐らく、応援団はアメリカに入国できません。(選手のみの試合、もしくは、亡命キューバ人の応援がはいるか、、、、?)


何故、キューバが貧乏学入門に関係があるのかといいますと、国全体が貧しい中にも、それと引き換えにできるだけの何かがある(詳しくは第二回をご覧下さい、PR)、、、というわけで、このブログとは切っても切れない間柄なので、これからも取り上げていきます。では本題に入らせていただきまする。


 写真の人物はフィデル、カストロ(国家元首)です。キューバといえば、チェ、ゲバラといわれる人が多いのでは?と思うんですが、なかなかカストロの写真はないんで掲載しました。彼は御年80近く、革命以来の首長なんですが、ソビエトの崩壊、中国の経済改革の中、個人的には、カストロが、アメリカとどう向き合うかを含めて、後継者にどう引き継ぐのかが気になっているところです。


 アメリカは、まるでアレルギーかのように、キューバに触れたくない様子。そんな背景もあって、カリブの弱小国が、巨人アメリカに啖呵を切り続ける姿に、なんとなく勇ましさを感じる今日この頃です。


            

第二回、キューバという国

 まだ、11人の方しか訪してないこのお部屋。かくいう打ち込まない私の責任なんすが。パソコン暦1ヶ月、漫画喫茶で製作しております貧乏学入門!2週間ぶりの第二回でございます!!!!


わたくし自称講師のサトキュウ。肩書きは職業訓練校に通う求職中の男30歳独身。平たく言えば無職であります。どうしましょ(@@)皆様、冷やかしでもいいから、見てくださいねぇ。


 さてさて、第二回は、キューバです。この国について、知らない方多いんでは?又は、カストロ議長は怖いとか、キューバ危機でダークなイメージがあるとか。しかーし!!!興味を持って調べれば、分かるんです。この国が、唯一、共産圏で裏がない国であることを。


 ただ、個人的な考えとしては、あくまでも、共産主義は理想に過ぎないこと。そして、利益を伴はなくては、人の就労意欲の向上には限界があることを踏まえたうえのはなしです。なんだかすっごくくそまじめになっちゃたけど、あくまでも、まえおきでね。


 キューバは、簡単に説明するならば、もともと、19世紀、スペインの植民地だったのを、やっとのおもいで解放し、自由が来たかと思いきや、アメリカの企業に埋め尽くされ、多大な搾取を受ける中、さらにバチスタという独裁者にクーデターを起こされてしまいます。しかも、バチスタはアメリカの操作しやすい人間であるため、キューバは事実上アメリカの衛星国となり、国民は自由を奪われ搾取され、首都のハバナはアメリカ兵の慰安と娯楽のみ満たす都市へと朽ち果て、治安は乱れに乱れたという有様。さらに、バチスタは教育に予算を取らないため、識字率(字を読み書きできる人数の国内の比率)が三割以下に落ちたといいます。


 そのバチスタを、ボロ船に乗り襲撃し、キューバ革命を起こしたのが、弁護士のフィデル・カストロや、医者の肩書きのある、エルネスト・チェ・ゲバラといった面々。


 この二人を軸に、キューバは社会主義国家の道を歩んだと思われがちですが、実は違うらしく、実際は、アメリカからの搾取を打ち破るべく、アメリカ企業を国有化した際、アメリカと袂を分かちたため、そうならざるおえなかったらしいのです。


 脱線はこのへんまでにしましょうか。突然話が変わりますが、何がいいたいかと申しますと、キューバは驚くべきスローライフな国だというのです。車は50年前のまで現役、しかも、ヒッチハイクは日常茶飯事。国民性は暖かく、教育、医療、食料、水、服は皆無料。しかし、国は、全体的に貧しい。という話。


 貧富の差と、疎外感が極力狭い国家であるがゆえに、犯罪率は極めて低く、くいっぱぐれがないし、教育も医療も皆平等。(裏を返せば、学歴が有ってキャリアを積んでも金持ちにはなれない。)


 キューバを旅するものは、その、人懐っこい国民性に魅了されるといいます。何故か?それはやはり、スローライフに意味があるきがします。


 日本人はいつも忙しい。組織の中に組み込まれ、しがらみのなかで、仕事こそが生きがいとなり、のんびり屋さんは怠け者だと疎外する。ネットの普及、機械任せが人間関係を希薄にし、感受性を奪う。しかし、人が生きていくうえで、大切なものは何かと真剣に考えたとき、必ずしも働くことだけが生きがいにはならないはずである。ニートの生き方を助長する話ではないけれども、生きていく分働いて、無理をしないでゆとりをもつべきではと提案したいというわけです。


 コメント下さいねぇ。お怒りでもいいから。ではでは




さときゅう


 

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